ポルトガルの首都・リスボンで 甘く切ない 思ひ出作り?!<後編>

Hello again everyone!! 萩野絵美です。皆様 お元気でいらっしゃいますか?

さてさて。

前回、カステラ話で盛り上がりましたが、もう一つ、忘れてはいけないポルトガルと日本を結ぶお菓子といえば・・・??

金平糖!

(響きが英語の単語 Confetti 【紙吹雪】に似ているし、話は全くそれますが、私は趣味でクラシック・バレエをするのですが、くるみ割り人形のコンペイトウの踊りが一番大好き!)

金平糖は、ウイキョウやコリアンダーの種を核としその核に砂糖液を繰り返して混ぜながら絡ませて、あの独特のいぼいぼを作っていく愛らしい砂糖菓子。

confetti.jpg

1543年、日本に最初に入ってきたヨーロッパ人であるポルトガル人が、キリスト教と一緒に、カステラや金平糖といった南蛮菓子を、日本に伝えました。

調べましたら、金平糖とはポルトガル語のCONFEITOが訛ったもの。CONFEOTOとは砂糖菓子の総称で、ポルトガルではつるんとしたドラジュもアーモンドに砂糖をからませたものも、ボンボンのようにお酒が中にはいったものも皆CONFEOTO。日本の金平糖はCONFEITO COM BICOS(コンフェイト コン ビィコシュ 意味 イボ付き砂糖菓子)となるんだそうです。

私は、JFN(ジャパンエフエムネットワーク)というラジオ局で、海外コーナー「ワールドフラワーズネットワーク」http://www2.jfn.co.jp/blog/wfn/ を担当しているのですが、昨年は日本ポルトガル修好150周年ということで、ポルトガル菓子研究家の智子ドウァルテさんに、金平糖についてのお話を頂きました。

日本人なら誰もが知っている金平糖のルーツ、ポルトガル人は自分たちのお菓子コンフェイト コン ビッコシュ(金平糖)の流れや存在すらも知らないのが普通。昔は(50から60年前)結婚式や洗礼式の後に、教会の前でイボイボの金平糖が配られたそうですが、それがいつからか、イボイボが無い砂糖菓子にとって代わられ、今ではポルトガルの田舎で細々と作られているのみ。日本の皇室の結婚の儀のプレゼントに金平糖が選ばれているのは、素敵ですね。本国で忘れ去られそうな習慣が日本で守られているんですから!日本でも結婚式にライスシャワーじゃなくて金平糖シャワーにすればいいのに。

ですって。

と、話はそれましたが、今回は、ユーモアたっぷりの智子さんとカステラの繋がりについて、私のやや意地悪な質問を含め、丁寧にお答え頂きました!

********************

Q: カステラの里帰り、とは 具体的に何を意味するのですか?そもそも何故カステラ?智子さんにとってカステラの存在とは?

どうして智子さん御自身ではなく、旦那様にカステラの修業とパティシエとしてのご活動を薦め&託し、御自身はカステラを作る側ではないのでしょう?

カステラの里帰りとは、特別な才能がない人間でもコツコツと努力を続ければ、なにかを達成できるということ。カステラが美しく完成されたお菓子やから。カステラは、とてつもなく大きな力です。夫にはだれにも負けへん技術を身につけ、学歴がなくとも、コネがなくとも 堂々と菓子職人としてやっていってほしいから。だから彼の聖域に私ははいらない。現実問題として長崎のカステラ(型が大きいのです。)は女では体力が続かない。(でもPAO DE LOは私が焼いております。)

 

Q:智子さんのカステラ屋さんのカステラは、どこが他店にはない、差別化できる一番の強みですか?食べる方々に何を一番、味わっていただきたい?また、智子さんのお菓子屋さんのスペシャリティー、自慢の或いはお薦め一品は?

カステラを焼いている店はヨーロッパにはほかにありません。日本と同じ材料が手に入らないのをいかしてBIOのローズマリーの蜂蜜を使用。歴史と文化を味わってほしい。

全て手作りで安心してお召し上がりいただけます。

昨年ポルトガル北部の女性から教えていただいたBROA DE PAO DE LO-という陶器の方で蓋をしてしっかりと焼きこむパオン デ ロー。ポルトガルにはさまざまな種類のPAO DE LO-があるのですが、クリスマスやイースターという家族が集まるときに必ず作られたパオン デ ローには母親の愛情がありました。

Q:カステラを、ポルトガルでSUSHIと同じくらいに有名に、という願いの元、展開してきた智子さんのお店及びカステラ里帰りプロジェクトですが、実現に至るまで、現在どの程度まで、進んでおりますか?最後に、智子さんのこれからのビジョンや夢をお聞かせ下さい!

10段階で3くらいでしょうか?

ここポルトガルで カステラを焼く若者を育てたいですねー。ポルトガルのお菓子のよさを伝えたいですねー。また私は時間ができたらポルトガルでお菓子を作っている女性を訪ねて歩きたいです。

商業ベースではなく 文化の伝承ということで、長崎の女性たちにいろんなpao de lo家庭で作ってもらいたい(長崎ママカステラプロジェクトを考え中)そして長崎から日本全体に広がればいいんですけど、、、、。

port.jpg

tomoko_duarte2.jpg

********************

ここまでスイーツ話を書いておいて、なのですが、実は甘党よりもお酒党の私、一つ一つのお菓子がどんなお酒(ポートワイン?はたまた微発泡白ワイン ヴィーニョベルデ?)に合うのか、なんて思い巡らし、智子さんのお話を聞いているうちに、あっという間に時が過ぎてゆきました。

文化交流や一生一大の夢を託すアイテムとしてのお菓子、そのポテンシャルに、気づかされました。

これからはお菓子にかぶりつくのではなく、一口一口、食べてみようっと・・・!

ポルトガルに住むハンサムウーマンたち、思えば「ともこ」繋がり、星座もご一緒(おうし座)、お互い顔見知り、ということをつい先ほど、知りましたが、偶然の中に必然性を感じながら、

私は希望、サウダージの想いを胸に秘め、ポルトガルを後にすることに。

良くも悪くも!これまた思い出たっぷりのスペインへと、旅発ったので、あります。

home2.jpg

◆智子ドゥアルさんテさん ポルトガル菓子&料理研究家

www.castella.pt.vu

京都市生まれ。幼いころより料理や食文化に興味を持つ。学生時代にヨーロッパ各地を旅行し、島根大学農学部卒業後の85年、菓子修業のためにポルトガルに渡る。87年、同じ店で働いていた菓子職人パウロ・ドゥアルテと結婚。翌年、長男ジョニーが誕生する。92年、日本ポルトガル友好450周年で開催されたイベントに夫パウロと参加し、日本各地で伝統菓子などを実演する。96年、パウロが長崎にある「松翁軒」でカステラ修業。ポルトガルへ帰国後二人の店「パウロのカステラ」をリスボン対岸のセイシャルにオープンする。2003年、御店をリスボン市コメルシオ広場近くに移転し、カフェを併設。連日御客さんで賑わっている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です